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三河油石とは?

 

三河油石は、奈良時代に採掘が始まっており、その頃は蜜蝋に似た石、

蜜に似た石と呼ばれていたようです。(蜜の字が入るのはガラス質の石という意味)

 

​主な産地は、八名郡と額田郡の小呂山でしたが、全て取り尽くされ、

今現在は岡崎市桜井寺町、本宿町、藤川町、豊川市萩町が採掘の中心となっています。

 

その当時の用途としては、硯石の原石から硯を削り出すなど、一般工具として用いられたようです。

(他にも漆芸や宝飾加工、工具の研ぎ出しやその他の砥石の面直しなどに使われていたのでは無いか

と考えています。)

 

また、白い碁石として使われていたという記録もあります。

(いずれも、三河誌(巻数によっては三河国誌)に記録が残っています)

 

時代は下って鎌倉時代の文献に三河の脂身石で刀を研いだと紹介されているそうです。

(これが三河油石の語源だそうですが、まだ文献は確認されていません)
尤も産地である愛知県三河地方では大工の需要が高く、
鉋やちょうな、鑿の仕上をしたとの事で、昭和52年頃まで大工達によって伝えられてきました。

しかしながら、この石は余りに硬く加工性が悪いため、段々と使われなくなってきた所へ河川法による河川からの石の採取禁止、キング砥石の台頭、電動工具の普及が重なり、誰からも忘れ去られた砥石となっていました。
平成に入ってからは、また川からの採取も解禁されたのですが、もう拾う人は誰も居なくなっていました。

三河油石の名前の由来は、鎌倉時代の文献に「三河の脂身石」と紹介されており、
その後時代が下るに従って「身」の字が取れ「脂」の字が「油」に置き換わった物だと言う事です。
そして何故脂身石なのか?と言うと、
まず三河油石は内部組織が結晶化している「目あり」と殆ど結晶化していない「目無し」が有り、
目あり型の断面が肉の脂身の断面とよく似ているため「脂身石」と付けられたとの事です。

鉱物的には「オルソクォーツァイト」と言い、アルカンサスの「ノバキュライト」と極めて近しい鉱物で、

ノバキュライトは熱変性なのに対してオルソクォーツァイトは圧力変性しています。

​どちらも、シリコン系の砂が変性して出来た鉱物なのです。

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